サラリーマンリタイアして思うこと
はじめまして。桜木大洋です。
私は27年間のサラリーマン生活の後、副業で不動産投資をはじめ、2016年3月に退職しました。
それまでの経緯と考え方につき、リアルにお伝えしていきます。
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マイナスからのスタート
私は今からおよそ9年前、43歳のときに何も勉強しないままオーバーローンで新築木造アパートを購入し、続いて調子に乗ってその2年後に同じようなアパートを1棟購入しました。
合わせて2棟・1億円以上もの資産を手に入れたと思って意気揚々としていましたが、思うようにキャッシュが残らず、その後どこからも融資を受けられない状況に陥りました。
のちに投資塾に入ったとき、塾長から「あなたはマイナスからのスタートだね」とキツイ一言を投げつけられたことが今でも印象に残っています。
人生最悪の経験
時を同じくして東日本大震災で自宅が被災。戸建ての家が8.3cm傾き、水道もガスも断たれ、近くにあった古い木造アパートの、6畳1間に家族4人で2ヶ月間の避難生活を送る羽目になりました。
この時、蛇口をひねれば温かいお湯が出る、スイッチを入れればいつでもガスが使える、そして寒さをしのげる部屋の中で安心して眠れることが、実は当たり前のことじゃないんだな、と気づかされました。
同時に、人が生きる上で必要な「衣食住」のうちの「住まい」を提供できる不動産賃貸業は、社会的貢献ができる事業だとつくづく実感し、いつか自分も快適な住まいを人々に提供できる事業家としての大家になりたいと思い、真剣に不動産投資の勉強をはじめたのは46歳になってからでした。
大活躍のサラリーマン時代。でも・・・
当時はバリバリのサラリーマンで、あるメーカーの役職者としてデジタルカメラの商品企画に携わり、新製品が出るたびに世界中を飛びまわって、発表会や記者会見でのプレゼンテーションに奔走していました。
2011年上期の日経MJヒット商品番付に自分の企画したカメラがランクインし、社長表彰を受けたこともありました。
客観的にみると、ある程度活躍もしているし、充実の会社員生活を送っているじゃないかと思われるかもしれません。
ところが実態は、大手企業によくある傾向で、構造改革の名のもとに人材と給与が減らされる一方。過酷な労働環境と片道4時間の通勤地獄に、いつ健康を害しても不思議はない状態だったのです。
頑張っても頑張らなくても給料は大して変わらない、それどころか55歳、60歳になるとガクッと給与が減ることが明白で、このままでは今の生活レベルは維持できない、確実にジリ貧になる、という危機感が募りました。
辞めるべきか、辞めないべきか
ただし、ここでお伝えしたいのは、全ての人がサラリーマンを辞めるべきだ、と言うつもりはない、ということです。
私が尊敬する先輩は、退職前に二人で食事をしたとき、私の考えを全面的に肯定した上で、ご自身の生き方について私との相違点を教えてくれました。
「自分らしく生きる、という点では大いに共感できる。しかし自分が今、サラリーマンとして会社の要職につき、組織を動かして大きな事業を立ち上げるということを繰り返しやらせてもらっている。この職務はたしかに苦しいし辛いし、誰もわかってくれない寂しさも感じることがあるけれど、そこを突破して結果を出した時の達成感は、個人の規模では味わえないほど大きく重いものがある。これを自ら手放すことは到底考えられない。定年まで会社に居座り続け、社業を発展させるために何かを変える必要があれば、そこに全力を傾けたい。」と胸を張っておっしゃるのです。この言葉に、私は素直に感動しました。
サラリーマンなんて、所詮は安定した給料のために我慢してやっている人がほとんどだと思っていました。でもこうして同じ会社にいて、純粋な気持ちでその職務に責任と誇りを持っている人と接すると、私だけ職場を離れることの罪悪感さえよぎります。
自分の仕事に生き甲斐を見い出せるのであれば、自ら辞める必要などありません。その覚悟ができている人を尊敬します。そういう意味で私は、会社の中に自分の居場所を見つけられなかった脱落者、と言えるのかもしれません。
属性を活かしてラストスパート
そして私は2016年3月31日、27年にわたる会社員生活に幕を閉じました。それまでの約2ヶ月間は、溜まりに溜まっていた有給休暇を使い、できる限りの不動産投資活動に奮闘。サラリーマンの属性がなくなると融資が受けにくくなることがわかっていたので、もう後がない、と思って集中して動き回りました。
そうして退職ギリギリに得た結果は次の通りです。
3月15日に1億5千万円の太陽光発電設備をリース契約
3月25日に1億400万円の鉄骨造3棟12室をオーバーローンで取得
3月31日に3億1千万円のRC1棟46室をオーバーローンで取得
最後の16日間で5億6,400万円の資産を手に入れて、サラリーマンとしてのフィニッシュを迎えることができました。現在は戸建てを含めると8棟143室、投資総額12億円になります。
サラリーマン最後の一日
会社員としての最後の1日は、さぞかし寂しい気持ちになるかと思いきや、最後に資産を増やすことができたおかげもあって、何も思い残すことのない、晴れ晴れとした気持ちで迎えることができました。
長い間親しんだ職場では、午後一番で職場の皆さんが集まってくれて、会社からの感謝状授与、満開の桜の下で記念撮影と、まるで映画のワンシーンのようなあたたかいもてなしと見送りを受けました。
こんな風に「主役」になったのは初めての体験でしたが、なかなか嬉しい気持ちで、職場の皆さんには感謝でいっぱいです。言葉にすると簡単になってしまうけれど、「言い表せないほどありがたい気持ち」というものも初めて思い知りました。
そしてデスクとロッカーの私物を1箱のダンボールに詰め自宅へ配送する手配をして、会社から貸与されたパソコンや携帯電話を返却し、いよいよ「会社」と決別。もはや誰も自分を守ってくれない「ただの人」になったのです。
サラリーマン生活では当然ながら辛いことも苦しいこともあり、充実感や達成感、そして大きな誇りを得ることもありました。そういったことをすべて含めて幸せな27年間だったと心から思います。
こんな思いにしてくれたのは間違いなく職場の仲間や仕事関係で出会った方々のおかげです。自分にはもうこれ以上、この会社に貢献することはできないと悟り、潔く身を引きましたが、その瞬間になんの後悔も未練もないというのは、自分なりに「やるべきことをやりきった」と思えるからです。
会社員には会社員の良さがあるし、それを存分に納得した上で、定年まで勤めることも、一つの生き方だと思います。自分の足で歩き続けるにはそれなりの覚悟が必要だし、それまでにやっておかなければならないこともあるのです。
でも、結局は一度きりの人生ですから、自分の気持ちに正直に、生きたいように生きるのが幸せな人生ですね。そんなことを考えながら、慣れ親しんだ職場をあとにしました。
自宅ではビッグサプライズが待っていた!!
その後、送別会で終電ギリギリまで盛り上がり、帰宅したのは深夜0:30を過ぎていました。もうみんな寝ているかな、と思い、小さな声で「ただいまー」と言ってそっと玄関のドアを開けると、突然クラッカーが鳴り、妻と2人の子供が大きな花束とチョコレートケーキを準備して待っていてくれたのでした。
そして3人からの
「パパへ」
と書かれたねぎらいの手紙を読んだ時には、もう涙をこらえることができませんでした。
この日、最もドラマチックに私の人生を演出してくれたのは、私の家族だったのです。
「この家族のために私はがんばっている」
自分の選択に間違いはなかったと、心震えるひとときでした。
この時の様子をFacebookで公開しています。
《サラリーマン最後の日》
一家の大黒柱である私が安定した給料をもらえる会社を辞めたのですから、家族はさぞかし不安でしょう、と周囲から言われることもありましたが、妻と子どもたちは不安になるどころか、それまでほぼ不眠不休で働き詰めだった私の身体を気遣い、リタイアを決めたことに安心した様子でした。
家族のための不動産投資
私が不動産投資を続けている理由は、家族と幸せな時間を過ごすため、家族の夢を叶えるためです。それを単に抽象的な目標として掲げるのではなく、日々具体的に実践できているかを振り返り、みんなで共有し合うことで、自分自身のモチベーションを高めています。
そんな私のありのままの姿を、ときには学びと気づきを含めてお伝えできるよう、これからも執筆活動を続けて参ります。
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《不動産投資で家族の夢を叶える》
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